「カブール」で講師として務めさせていただいております、大津博子と申します。
数多くあるエステサロンの中から「カブール町田店」のウェブサイトをご覧くださりありごとうございます。
この頁は、お客様の大切なお身体と時間をお預けくださるうえで、カブール町田店の「サロン理念」、そして「心・技・美」における私たちの思いと願いをご理解いただきたいとの思いで作成いたしました。
今、ご覧くださっている方は、もう「エステ」のご経験をされていらっしゃる方でしょうか?
それとも、これからの「エステ」との出会いを模索されていらっしゃる方なのでしょうか?
「エステ」に興味を持ってくださったのなら、必ず「エステ」と出会いのきっかけがございますよね。
1990年(平成2年)、天皇家の礼宮文仁さまと紀子さまの「納采の儀」が執り行われ、一年を通して日本中が祝賀ムードに沸いた年。エステサロンの看板も広告も目新しかった時代に、何をしても長続きしない「今時の若者」が、「綺麗でカッコよさそう!」と、華やいだイメージの某大手エステサロンの門を叩いいたことが「エステ」との出会いであり、エステティシャンとしての私のスタートでした。
「エステ」のご体験がない方の、まだ見ぬ「サロン」へのイメージとは、どのように想われていられるのでしょう?
清潔・・・、華やか・・・、落ち着きがある・・・、
もちろん、「サロン」が違えば雰囲気も違うのでしょう。
私が勤めたサロンは、まだ設備も整っていない、お世辞にも綺麗とは言えないサロンでした。
そんなサロンで目にするのは、楽しそうにご来店くださるお客様のお顔と、自分たちの身なりを気にする暇もなく、始終バタバタと慌しく動き回り、息をつく間もないくらい忙しく働く先輩たちの姿でした。私の持つエステのイメージとは全てが真逆の世界が拡がっていました。
不思議なのは、どのような場面でも、先輩たちの姿が、何故か楽しそうに見えること。何が楽しいの?何で楽しく見えるの?何なのその楽しさって?
「カブール町田店」の施術ルームをご覧いただいたお客様には、想像していただけるかもしれませんが、今、思えば、その疑問の答えがほしくて、私は父との約束を守ることができたのかもしれません。
そう、私の転機となった今は亡き父との約束がありました。
「三年は社会人として働かないと一生後悔する。一度でいいから辞めずに三年は働きなさい」と頑固で堅実で口数の少ない父が、何事にも長続きしない娘に発した言葉でした。
「石の上にも三年」、冷たい石でも三年間座り続ければ暖まると、娘の将来を心配し、言いたかったのですね。
そんなある日、私を更なるエステの道に駆り立てた、ひとりのお客様との出会いがありました。
結婚式を控えた若い女性が「助けてください。ドレスが着られません。」と来店されました。
一生に一度の晴れの舞台で、着たいと思ったドレスが着られなかったのです。
お客様の願いは私の願い。「選んだドレスを着ていただきたい。」との思いで、その時の私ができることの精一杯の施術を繰り返しました。お客様自身のご努力の甲斐もあり、念願のドレスを着こなせるようになりました。自分のことのように喜ぶ私を結婚式にお招きくださいました。そこで初めて見る真っ白な素敵なドレスと、そのドレスと幸せに包まれたお客様の最高の笑顔を拝見したとき、「エステティシャンを続けてきて本当によかった。一生続けよう。」と感動したことは、今でも忘れることのない私の財産です。
気がつけば7年の経験を積み、社内では関東地区を統括する責任ある役職に就くようになっていきました。
大手企業ゆえ、役職を拝命する度に、お客様と直接触れ合う機会は減り、一生続けようと感動したエステティシャンの姿からはかけ離れ、距離が生じる毎に、自分自身の中に沸々と湧き上がる「疑問」。
私の仕事は、現場のサロンで働く後輩や部下を育てること。私の知るエステティシャンにしかないやりがい。それを後輩たちに知ってもらいたい。その一心で教育に専念し、指導・育成をすることに注力するしかない・・・。
それがお客様のためにつながる…。
そう自分に言い聞かせる日が続く中で、「企業」としての「エステ」の考えは、現場のサロンとは異なることを知っていきました。
もちろん、「企業としてのエステ」もお客様を大切にし、サロンで働く社員のことも考えてはいます。
ただ、サロンでお客様から直接伺うご要望や、社員がお客様のためにやりたいことは、少しずつ言葉と意味を変え、徐々に現場の声が届き難い上位職者に伝わり、ご要望もやりたいことも全然違った形のことをしなければならない。そのことに悲しさと憤りを感じ、サロンから離れての10年、営利目的でエステを続けることが辛くて堪らなくなり、大手エステサロンで勤めることにピリオドを打つ決心をしました。
私の思い願うエステが、どんどん崩れ、離れていってしまうことへの苦しさに堪らなくなった17年目でした。
そんな矢先、思ってもいなかったことが起こりました。私にも知らされぬうちに会社が倒産してしまったのです。
テレビのドラマなどではよくありますが、自身に降りかかるとは思いもしない突然の出来事に、状況の把握もできないまま、お客様への陳謝とご案内に追われる日々。
明も暗もわからない、何がなんだかよくわからないまま、落ち着くことのない時間が続き、お客様には精神誠意のご対応をさせていただくことで、一瞬沸き起こる私自身の「この先の不安」をかき消しました。
悪い夢であって欲しいと願いながらも、辛い現実を耐えるしかなく、ご迷惑をおかけしてしまうことになったお客様と私を信じついてきたスタッフを思い、胸が張り裂けるような苦しみにも、最後まで「やり切る」、自分に出来ることの限りを尽くす、その思いだけで過ごしました。
ただ、あまりの辛さに、もうこの世界で働くことはやめようと思いながら、状況が落ち着くまで横になって寝たことはありませんでした。
以前より敬愛しており、今の私の師匠である「梶原先生」が「店を任せるからやらないか」と声をかけてくださいました。 私が、これからの生活に大きな不安を抱えながらも、いまだ辛さから脱することも、どれだけ先のことを考えても答えがみつかず、自分のふがいなさに嫌気がさしていた時のことです。
そんな私の目を覚まし、道を切り開くきっかけをくれたのは、「カブール町田店」の現店長であり、以前の会社で苦楽を共にした同志でもある「青池」でした。
彼女からの「何を迷っているのですか、やりましょう、一緒に!」と私を鼓舞する言葉に、「そうだ、エステは本当に素晴らしい仕事。お客様にもスタッフにも辛い思いをさせないサロンを私たちが作ればいいのだ!」そう決意しました。
理想のサロンのオープンに向け、新生エステティシャンの訓練が始まりました。
まずは日本で初めてインドエステを導入した梶原先生の拠点である「カブール大阪本社」の研修施設での厳しいレッスン。青池と同様に以前の同志であった現マネージャーの左高も加わり、三人での昼夜を問わない、寝る間を惜しんでの厳しいレッッスンが3か月の間にわたりました。
大手エステサロンで17年ものインドエステの経験がある私が、なぜ今更に身命を賭してまで一からやり直せたのか。
それは「カブール」の持つ、理論・技術力の偉大さ、深遠さに本物のインドエステと巡り合えた歓喜にほかありません。
17年の経験が本物を知ることに役立った時、すでに私は38歳でした。
「お客様のお役に立てるサロン」であり続ける。その一心でオープンしたサロン。オープン後も、毎月、カブール大阪での研修への参加を続け、技術の研鑽を積むことも怠りませんでした。
しかし、いくら思いはあっても、すぐに伝わるものでもなく、2年間は思うような営業ができず、思い悩む日々が続きました。
オープン当初は、ご予約の電話が鳴るどころか、お問い合わせのご連絡もない中で、誰が言い出すわけでもなく、まるで不安を打ち消すかのように営業時間はもとより、閉店後も休日もレッスンを繰り返し、少しでも自身の技術を向上させることで、ご来店くださったお客様一人ひとりに120%のご満足をご提供し、私たちの誇る「カブール」の、「本物」のインドエステを体感していただきたいと、ありとあらゆる時間を、自分自身が納得のいく技術の習得のために費やしました。
これには、師匠である梶原先生が教えてくださったことの一つである「嘘のないサロン経営」という言葉が胸にありました。
「信用し通ってくださるお客様の期待に応えられるサロンを作らねばならない。そのためには努力を惜しむな。」ということが根底にあったからです。
そして同じ気持ちで、私に賛同し苦楽を伴にしてくれた、私にとっては仲間である一期生の社員の存在があってこそ、「カブール町田店」の今があると、感謝を忘れたことはありません。
高齢化が進む現代、「健康に 美しく 年齢を 重ねていく」これは全ての女性の願いであると思います。時代や価値観の変化によって、「エステ」に対する考え方は、今までよりもニーズが多様化しています。
さらに、皆さまご存じのとおり、2019年12月に武漢で初めて確認された新型コロナウイルス感染症は、日本では翌年2月指定感染症になり、3月にはパンデミックであると表明され世界中の人々の生活が劇的に変化しました。
日々不安に苛まれる生活が長引く中で「健康であり続けることの大切さ」を感じカブールをお選びくださった沢山のお客様との出会いがありました。
今回の感染症はとても大変な出来事ではありますが、私たちエステティシャンは微力ながらも健康であり続けたいと願うお客さまのお手伝いをさせていただくことによる社会貢献の意味や意義に改めて気づくことができました。
インドエステの真髄を究めるカブールの施術は、「美」という概念は勿論のこと、体内の浄化、脂肪の減少、運動を局部的に行えます。「エステは病気にならない予防医学」であり、インドエステではそれが可能であると考えます。
お客様一人ひとりに、千差万別のお悩みがあります。
私たちは、そのお力になりたい。そのために、技術の向上に対し勤勉に勤めております。
「サロン」では「先生」と呼ばれていますが、それは、カブールの「講師」というデュプロマ(資格)をいただいているからです。この資格も自身の努力だけでは手にすることができるものではなく、先輩先生方のサポートがあって初めて手にすることができたのです。
カブール町田店では、他のエステサロンでは感じていただくことのできない「技術力」と「接客力」を身につけるため、時には厳しく、また妥協をすることのない指導をしております。
大手エステサロンで矛盾を感じ苦悶したことの一つに「入社3か月で独り立ちさせる」というものがありました。
私の考えは、技術面において納得できるレベルに達しなければ何年経とうがお客様のお身体を一人で任せることはいたしません。
私が選び勤めているスタッフは、私の責任の下、時間をかけても、必ず一人前のエステティシャンとして、お客様に安心してお身体をお預けいただけるまでに育てます。
それには厳しいときもあり、細かい指導を行うこともあり、愛情をたっぷりと注ぐこともあります。近くで、離れて、一人ひとりの成長を見守っています。
私自身も年齢を重ね、お客様が何をお求めになりにサロンに足を運んでくださるのかを、察することができるようになってきたと思います。
お客様のご要望にお応えしたい。そのためにできることを、これからもスタッフ一同、精一杯の努力をする所存でございます。
お客様に支えられ今があります。
カブール町田店の会員の皆様は素敵な方ばかり。
近年、おかげさまで、サロンが賑わい、お客様の笑顔、笑い声が絶えず響き渡り、それがスタッフのやりがいに繋がっております。
そして、スタッフの笑顔、笑い声が私を癒してくれます。
いつまでも、お客様に愛されるサロンであり続けられるように、これからもスタッフとともに歩んでまいります。
最後までお付き合いくださいまして誠にありがとうございました。
「貴女様とお会いできる日を…心から楽しみにしております。」
カブール町田店 講師 大津 博子